Urban Stage Research Institute Corporation |
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自律的地域づくりの検証 |
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−根付く地域づくりとは何か− |
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1993.09.27作成 |
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1.はじめに
2.自律的地域づくりのための産業おこし (1)産業おこしのパターン (2)産業おこしのパターンと変革に対する腰の強さ 3.地域おこしの理念と実践 (1)「薬師の里」の概要 (2)夢づくり (3)人づくり (4)産業おこし (5)環境づくり 4.おわりに |
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1.はじめに |
従来、まちづくり・地域おこしは、「都市・地域建設計画」的立場、あるいは住民運動として「人づくり」の立場から、それぞれ論じられてきた。近年では住民参加・住民主導型の地域づくりが論じられつつあり、「文化論」としての地域づくりと「教育・学習論」としての人
づくりが統合化されつつある。 ところで、実際の街や地域を生活の視点から捉らえ直すとどのようになるであろうか。ほとんどの家庭が何等かの産業から生活の糧を得ている。即ち、現代の生活が産業無くして成り立ちえないように、街や地域の成立には産業が不可欠となっている。しかし、これまでの地域おこし・まちづくり論で、正面から地域産業と地域の活性化について議論されてきたことは少ないのではないか。 今日の街や地域不振の原因には、産業が大きなウェイトを占めている場合が少なくない。一次産業主体の地域、炭坑町、鉄鋼都市等、既存産業が社会情勢に対して構造的に適合できず、衰退している街や地域が全国的に急増している。 このような状況を克服するためのまちづくり・地域づくりには、文化論や精神論的側面からのアプローチだけでは限界がある。産業が衰退し、人口減少している地域で文化論・精神論的に人々を説いても「夢だけではメシは喰えんよ。」と反論されてしまう。地域づくりに携わる我々は、その度に自らの無力感に悩まされてきた。 そのようななかで、各地での地域おこしに携わり、明らかになってきた点がある。このような地域を「おこす」には、まちづくり・人づくりだけでなく、産業おこしも含めた総合戦略をうちたてた上で、各々の戦術が組み立てられなければならないのである。さまざまな外的変革からの影響を最小限に留めて地域を安定させる自立性、そのために主体的に考え行動する自律性、自立性・自律性を継続させる永続性が地域に求められている。このような視点を尊重して始めて、真に自律的・永続的で地域に根付いたまちづくり・地域おこしが達成できるのではないか。 以上のような観点から本文では、自律的・永続的なまちづくりのために必要な産業おこしの考え方を提案する。 次に、まちづくり・地域おこしの構想・計画を夢づくりと捉らえ、地域の社会基盤整備を環境づくりとして、夢づくり・人づくり・産業おこし・環境づくりと、それらの関連について考察する。その中で、このような考え方に従って筆者がお手伝いをしている地域おこしの事例として石川県七尾市南大呑地域の『薬師の里』づくりを紹介する。 |
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2.自律的地域づくりのための産業おこし |
地域産業の再興策として採用されるものとしては、地域外企業の誘致による場合と、地域内部の資本による場合とに大別できる。
ここでは、両者による地域の産業構造への波及と効果の違いについて、モデル的に単純化した上で評価を加え、地域産業の構造と「外的変革に対する腰の強さ」について考察する。さらに、長期的な視点で地域振興に必要な「地域内連関システム」について考察する。 |
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(1)産業おこしのパターン
これまで産業を見る視点は、各々の企業・産業毎の経済的規模を評価することを中心としてきた。しかし、実際の産業活動は、地域内の企業間や地域外の企業間の商取引(連関)を通じて行われている。 これからの地域産業は、このような「企業間連関」も併せて評価すべきである。 以下にこのような視点から、地域産業の発展パターンを考察する。 ●自律的展開(内発型展開) 新しい産業(企業)が地元の資本で興され、それが成長するに従って、関連産業(企業)が発生していくパターンは内発型の地域産業展開である。 このパターンでは、地域産業の発展力や速度は地域の実情により様々である。地域産業の規模によっては、かなりゆっくりとした展開となる場合もある。 一方、事業の拡大や新規事業展開などの産業おこしの意思決定は、主に地元産業の事情に鑑みて為される。即ち、ひと・もの・かね・情報といった地域資源は、土産土法によって活用される。 この点で、内発型の産業展開は、自律的展開である。 土産土法:地元産品を地元料理法で調理すること ●依存的展開(誘致型展開) 新しい産業(企業)が、企業誘致などによって地元以外の資本で興され、その成長に伴って、地域産業が発展していくパターンは外発型の地域産業展開である。 このパターンでは、規模の大きい誘致が成功するほど、平均所得や出荷額などの一般的な地域産業指標は、飛躍的に上昇する。 一方、事業の拡大や新規事業展開といった産業おこしに関わる経営戦略の意思決定は、地域外にある誘致企業本社によって為される。即ち、ひと・ものといった地域資源は、地域外の人間(組織)によって活用される。 この点で、誘致型の産業展開は、依存的展開である。 |
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(2)産業おこしのパターンと変革に対する腰の強さ
金沢では、繊維産業から機械産業が興り、食品加工業等の発展とともに食品機械その他の多様な産業機械製造産業へと発展している。またそれぞれの産業でも、電話ボックスシェア一位、化粧品等のムース缶のトップ企業、コンピュータCRT(ディスプレイ)など業界一流の企業が多い。このように金沢は、多重で複雑な地域内連関を伴った内発型の地域産業構造を持っている。 ●なぜ中小企業育成か いま、次に示すようなA・Bふたつの町があったとする。両者とも全体としての雇用力は、30人で同数である。 A町:一人しか採用しない30の企業 B町:30人採用する一つの企業 二つの町に経済変革の影響で一つの企業倒産が会ったとする。 A町:一人の失業者と29人の友人 B町:30人の失業者 A町では29人の援助で復興が出来るが、B町では出稼ぎにでるか、新たな企業誘致に走らなければならない。 どちらが経済的に[腰が強い]のか? このように中小企業育成の必要性について説明できる。 ●リゾート城下町のその後 夕張や北海道・九州の炭坑都市、室蘭や釜石等の鉄鋼業都市、呉や佐世保等の造船業都市の例をひくまでもなく、単一製造業の企業城下町的な都市の[経済的な腰の脆さ]についてはよく知られているところである。 |
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一方、バブル経済期に山間部等過疎地域を中心として行われたリゾート開発は、その殆どが地域外資本によるものである。また、投下資本額も従前の地域産業からみると桁違いの大きさであるが故に、軌道に乗った場合のプラスの影響も大きいが、事業が傾き始めた時の地域産業に及ぼすマイナス影響もまた甚大である。
列島改造ブームに開発された別荘分譲地が、オイルショック後ゴーストタウン化するとともに地権者も再三交代しているため、再開発が困難を究めているといった地域(淡路島の一部など)がある。 バブル後の経済変革によって構造的に適合しなくなったリゾート地も、同様の運命を辿る危険性がある。大資本を一気に投下して整備し、会員権を大量に販売して短期的に資金回収するシステムが主流である今日のリゾート開発が、今後予想される数々の経済的環境変革にどの程度まで耐えられるものであるのか、我々は早急に地域産業の立場で厳しくチェックする必要がある。 |
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3.地域おこしの理念と実践 |
この章では、先の自律的地域づくりのための産業おこしを視点に入れ、筆者がお手伝いをしている石川県七尾市南大呑地区での「薬師の里」づくりの理念と実践、及び構想し、実践する過程で行った各地の調査実例を折り込みながら述べて行く。これらの実例は、我々が「薬師の里」づくりを進める上で、必要不可決のものであった。
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(1)『薬師の里』の概要
●中山間地活性化の構想と実践 石川県七尾市は、能登半島の中程にあり、人口5万人の地方都市である。南大呑地区は、七尾市と富山県氷見市との境にあり、三方を山に残る一方を富山湾に囲まれた中山間地である。地区の中央を七尾市で最も大きな河川である熊淵川が流れ、小さな熊淵平野を中心に山間部を合わせ大小9集落1600人の箱庭のような地域である。 地場産業は米中心の小規模農業と小型船での沿岸漁業のみである。 |
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(2)夢づくり(地域づくりのコンセプト)
●受け皿作り 南大呑地域の夢づくりは、当初地域の有志が個人的に集り学習する私塾から始った。人づくりと地域づくりを両立させようとしたのである。メンバーは20代から50代に至る幅広い年齢層の7名から順次自然増加した。私費を積み立てた先進地事例研修や、文献学習、地域学習など活動も幅広いものであった。塾も、希望と智恵を持って生涯地域の活性化に尽くそうと、「希智涯塾」と名付けられた。地域にも次第に塾の存在が知られるようになると、活動が一部の人に限られている点の指摘もあり、地域全体で活性化に取り組む組織づくりが検討された。 この時参考にされたのが、後に述べる静岡県天竜市熊(くんま)地区の振興懇話会形式であった。 この組織は、地域の全戸から一律に1000円を集め、構成されている。このような地域組織づくりを経験あるいは企画された経験を持っている読者ならば、全戸出資の困難さが直ちに理解できることと思う。我々も熊地区の取り組みには、全く感心してしまったのである。そこで、南大呑地域でも同様の組織づくりを目指した。相当の紆余曲折があったものの町会連合会の理解が得られ、最終的には金額こそ違え、同様な全戸出資の任意団体、「南大呑振興懇話会」が設立された。以後、本会が中心となって地域活性化構想・夢づくりが進められて行くこととなった。 そのような中で、懇話会の有力メンバーのJA組合長から地域活性化構想立案の事業が持込まれた。それまで体系立った構想を持たなかったため、これを利用する事とした。事業は、農林水産省管轄の農山村活性化JA活動促進対策事業、通称ルーラルアメニティ計画である。 我々は、懇話会から委嘱された特別委員会を発足させ、コードネームを頭文字からRAP委員会とした。多くの計画がコンサルタント等専門家の手によるのに比べ、南大呑地域ではアドバイザーとして助言役に適宜筆者があたったものの、委員メンバーは殆どが地域住民で構成された。また、七尾短期大学小倉光雄教授(当時)及び七尾市中心部の活性化キーマンの樺n域計画建築研究所 金井萬造社長を講演会にお招きした。 この意味で住民自らの手作りの地域構想となっている。 このような活動の中から、次のような地域づくりの基本コンセプトが得られた。 ●歴史の一コマ(文化・精神論から) 19世紀のインディアン指導者アセネカに次の言葉がある。 「この大地は先祖から受け取るものでなく、子孫から借りているものだ。」(出典NHKスペシャル・21世紀地球は救えるか2) この言葉は、今日の我が国において地域が衰退を招いている本質的原因を鋭く指摘している。 日々の暮しの中で、いつの間にか本質的に大切な視点を忘れてしまったのではないか。「豊かさ」を考える時にも、自分だけの豊かさを考えてはいなかっただろうか。 地域を考える上で、最も根本的に重要な点は、「我々自身だけが、如何に豊かさを地域から享受するか。」ではなく、「如何に豊かな地域を遺産として子孫に残すか。」という発想であろう。 我々の住む地域には、過去に連綿とした祖先の暮しがあった。今日、我々の生活があるように。そして将来、やはり連綿とした我々の子孫の暮しが続くのである。我々時代は、大きな歴史のほんの一コマに過ぎない。 言葉にすると月並になってしまうが、「次世代に自信を持って返せる真に豊かな地域をつくる」ことを真面目に考えることである。 ●地域づくりのキーワード 地域づくりのテーマを実現化するためには、地域住民みんなが理解しやすい具体的なキャッチフレーズ・キーワードを探し、掲げる必要がある。 地域のキーワードを探すにあたっては、単に言葉の持つイメージや目新しさを追うのではなく、地域らしさの構造を意識する必要がある。 地域らしさは、その地域の独自性である。地域の独自性を直接的に見えるものとして示しているものが、風土であり、民俗的なものである。 風土は主に、地域の地勢(空間的な位置・構造)と歴史によって形成されている。民俗的特徴は、風土を踏まえて地域の人々の暮しと歴史によって形成されて来たものである。 地域学習から始めた地域づくり構想の作業は、しばらく停滞した。ありあまる自然がキーワードの一つであることは間違いがなかった。自然だけではあまりにも月並で皆が納得できるキャッチフレーズが見つからない。我々は、空間を中心としたキーワード探しから、時間を中心としたキーワード探しを始めた。 歴史の好きな人が居た。彼が持ってきた一冊の書籍「日本海域と古代史」(門脇禎二著東京大学出版会)に、南大呑地域が記してあったのである。 地域の人々が気軽に「薬師さん」と呼んでいる神社が、約1100年前の宮中の式典規範を示した延喜式に記載されているという。薬師さんは、スクナヒコナ神で、出雲神話にみえる医薬の祖神である。万葉時代以前、出雲と能登に交流があった...。地域の山に連なる石動山も古事によると紀元前に由来するという。南大呑地域には、神話時代からのロマンがあった。夢を描こうとして描けなかった地域が、この「発見」に喜んだのは言うまでもない。 薬師さんをキーワードとした「薬師の里」づくりに取り組み始めた。神代ロマン・薬師の里、能登大呑郷をつくろう!南大呑の地域づくりは、人づくりから始めた地域づくりである。その人づくり学習の過程で明らかになった点を次にまとめる。 <薬師の里:理念と基本構想> ●地域づくり構想の組み立て 地域の産業・自然・人材のキャパシティを考慮し、分相応の構想・計画を立てよ。 心が、バブルになったままではないか。各々の地域にあったペースで拡大・成長して行けばよい。 行政は、地域環境整備会社と考えれば、公共事業は自律的地域づくりに貢献する。その際、あくまで地域の内部に公共事業に対する意思決定が存在しなければならない。 地域開発や整備に伴う、土地買収費や補償費は、地域産業に再投資すべきである。地域のストックがもたらした財を個人の嗜好に消費することは、地域財産を浪費し、疲弊させる。ある国家的プロジェクト関係者から得た話によると、莫大な補償費の使い道が分らず、バーを一人で借切り、電気を消して紙幣を一枚づつ燃やして夜通し遊んだ権利者が居たと言う。我々の血税がこのような使われ方をしたことに憤りを禁じえないが、それとともに買収費・補償費を地域づくりにどのように有効活用するべきか考えなければならない。 筆者らが農産漁村での地域づくりのヒントを得るため行なった欧州視察での成果から、スウェーデンでは中小起業家のための公的な経営セミナーがあり、ドイツでは農村セカンドハウスの経営に、日本のJAにあたるDLGがマーケティング、施設整備・提供サービス、法律・税金・保険に関するマニュアルを作成し、セミナーを開催していることを知った。我が国でも自律的な地域づくりを支援するために、このような個人起業家向けの経営学習・教育が体系的に行われる必要がある。 公的機関に対する要望と共に、我々地域計画家自身も産業支援の人づくりに関する必要性を認識し、対応を進 める必要があろう。 |
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(3)人づくり
●産業おこしと人材 産業構造の特性は、単に所得の多寡に限らず、人材の育成にも影響する。 依存型の産業構造に満足している地域では、施主に対してねだり方の上手な人材が歓迎される。このような地域では、自律を志向して「施す者とせがむ者」の関係を打ち破ろうとすることは、地域産業の安定を揺るがしかねない。従って、このような考え方や行為は地域から疎まれることになる。 一方、自律的産業を維持し自律的に発展させるためには、積極的に自らを修練し開発できる自己増殖型の人材が数多く存在しなければならない。 自律的な産業おこしを達成している地域には、必ずこのような地域社会教育システムが存在する。このシステムによってあくまで自律的に地域(産業)を拡大・充実させているのである。 従って、自律的地域産業を志向する地域では、まず自律的人材育成システムの構築に取り組むべきである。このような地域社会教育システムは、目に見えるものである筈がなく、また文献等からその真髄を得られる性格のものでないため手法の確立が困難で、成果もすぐには評価できない。しかし、そうであるからこそ、地域興し・街づくりリーダーが腹を据えて取り組まなければならないテーマである。 「地域に根ざした」産業を育成するためには、地域の産業規模等の実態に見あった規模の資本投下と、展開速度が存在する。大規模開発で有名な占冠村のトマムでは、当初地元との合意で従業員に地域の若者を採用する予定であったが、若者が地元に残らず、採用に苦慮している。 さらに提携元であるオークラからの従業員とのレベルの差は、如何ともし難く、地域外からの採用を行わざるを得ないのが現実である。 製造業と異なり、リゾート業に要求される人材は資質が特徴的であるため、過疎の激しい地域ではかなり難しい。このような人材の育成を企業努力に求めれば、効率よく可能であるが、結果的に従業員としての域を出ることが出来ない。数ある沖縄のリゾートホテル従業員も管理職に地元採用はされていない。 ●お母さんたちの人づくりと産業おこし むしろ地域が苦悩しながら進めるならば地域全体の財産となる。我々が農産品の加工販売施設整備事例として調査した静岡県天竜市熊地区の「水車の里・かあさんの店」は、主婦が中心となった地域づくりである。 転作作物の蕎麦をただ作っていたのでは面白くない。自分たちで手作りソバに挑戦しようとお母さんたちが集ったのである。そのうち、御幣餅等にも発展し、作りすぎて食べ切れない。鮎釣りの人に呼びかけたら、飛ぶように売れた。自然発生的に始めたそばづくりがこれを契機に成長し、地区公民館活動から店舗営業にまで発展した。 これを支援したのが先の地域組織である。天竜市も河川整備や、加工施設整備で支援し、「水車の里」が産れた。人づくり・産業おこしからの地域づくりである。 その素朴さから、首都圏を中心に大幅な集客があり成功していた。現地に赴いて学び取った点は、この試みは決して「水車の里」づくりだけでなしえたものではなく、その底流に「あいさつ運動」等の地道な地域活動があったことである。 熊地区の「あいさつ運動」は徹底しており、見知らぬ人の分け隔てなく老若男女の別もなく挨拶が交わされる。 こうした運動の中から人々は爽やかな「こころ」を育んで来たのであろう。この「こころ」がホスピタリティそのものであり、それなくしては「水車の里・かあさんの店」の成功も地につかず上辺だけのものとなったであろう。自律的な人材と自律的な地域おこしは、一体のものである。 ●産業おこしの底流にあるもの 先の中小企業育成の論理で重要な点は、A町に於いて企業倒産が発生した時、周りに29人の友人が存在するとしたことである。中小企業育成の底流に地域社会の強力な連帯意識醸成プロセスが働いている必要がある。この点を我々は、明確に認識しなければならない。 このように、地域産業の再興は、単に経済的な豊かさの追及にとどまらず、たとえ経済的波及効果は小さくとも、地域の人々の表情が輝くような意味付けを与える事にも役割がある。後者を犠牲にして進められる産業活動は、経済的豊かさを満足できても、さらに高尚な精神的豊かさの実感に至る道程を遥かに眺めるだけのものとなるであろう。 こうして見てくると、自らと次の世代にどのような姿の地域産業・地域社会を実現し残せばよいか、我々は改めて根本から考え直す必要があるようである。 ●公民館活動と人づくり 南大呑地域では、公民館活動で、地域史編纂・地域伝承の昔話編纂を行った。次代を担う子供たちに地域を愛する心を持ってもらうことを祈って。 我々が、熊地区などを訪れて感じたのは、地域を愛する人づくりの重要性である。このような活動に公民館は、最適な場を提供してくれる。 地域づくりのあらゆる情報発信源は公民館活動にあると言っても過言ではない。南大呑地域でも公民館活動とともに、産業おこしの芽が産れてくるのである。 |
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(4)産業おこし
●域内消費産業と「外貨獲得」産業 地域を限り、そこに関係する産業を消費者がどこに居るかで分けると、域内消費に対する産業と、域外の消費者に対する産業の2つとなる。地域産業にとって、両者の差はかなり大きいものがある。小売店や域内自給のための農業等を中心とする域内消費産業は、消費者が地域住民であるから住民が減少したり、消費生活が低下すると成長が望めない。一方、地域の外に消費者を持つ産業は収益を挙げると地域に地域外の財を獲得したことになる。即ち、地域を小さな国家とすると外貨を獲得したことになる。このことは、地域産業を成長させ「収支を黒字にする」事を意味する。 読者が対象としている地域の収支はどうなっているだろうか。過疎化が進行し、衰退している地域はかなりの赤字になっているのではないか。 ●地域財産と「外貨獲得」産業 「外貨獲得」産業を地元資本による自律的な産業としておこしやすい産業はどのようなものであろうか。これといった産業の無い地域では、地域の財産である資源を活用した産業が最もおこしやすい対象である。地域の財産が何であるか住民間で充分議論して再発見をする必要がある。以外と身近なところに財産があるものである。 ●「外貨獲得」産業の市場調査 自然に恵まれた地域は、産業が弱体化し過疎化している最も典型的な地域の場合が多い。このような地域こそ産業おこしと地域づくりを統合化しなければならない。 地域の独特な加工食品などが「外貨」を獲得しやすい財産であるが、一度に産業化するにはリスクが大きすぎる。従って、まず実験的に地域外との交流の中から、その可能性を探る必要がある。 例えば、、姉妹提携都市の公的なイベントに参加し、試験販売をする。消費者の反応を確かめられて一石二鳥である。 ●素材の再発見 能登半島の伝統的な保存食に「かぶら寿司」がある。 各家庭で毎年暮に造っている。金沢の食品会社を中心に数社が商品化しているが、地元の味と少し違い、南大呑地区の味を実現できないかと、農村の主婦が集って考えだした。できるだけ家庭で造られている味を出し、添加物を使用しない製造・保存ができないかというわけである。本来保存食であるが、保存の過程で色が悪くなり、味も変化してくる。発酵が進み、チーズ状になって独特の臭みがでるのである。なかなか強烈な匂いと味で、馴れない人には向かない。仕込んで程良く発酵した状態が大変美味であるが、その状態を保つのが難しい。添加物を利用すれば簡単であるが、それはしたくないというこだわりが皆の気持ちにあった。こうして数年の研究の末、産れたのが「灘のかぶら寿司」である。灘とは、富山県氷見市から石川県七尾市にかけての富山湾沿岸を灘浦と呼ぶことから付けられた。地元産の竹を容器にし、地元農家にかぶ(地元ではカブラと呼ぶ)を契約栽培してもらい、カブに挟むブリは地元産では高価すぎるのでブリの子供・孫にあたるガンド(地元ではハマチは養殖物を指す)・フクラギを用いている。すべて地域内の資源を活用し、外貨を獲得しようという訳である。急激な生産拡大が困難であることから、販路開拓も地味であった。 しかし、こだわりの味が好評で着実に販売量が伸び、近年は非常に有名になって生産が追い付かない状態である。 かぶら寿司の成功をきっかけにして、地元産品の再発見・再発掘が進められている。クズ・炭焼・味噌が再開もしくは新たに始められた。 当初、かぶら寿司の加工販売を一手に引き受けていた農協・JAが、近々広域合併を予定しており、それと同時にかぶら寿司加工センターの経営切り放しも予想されている。地元で経営を引き受けられるとどうか、今後の地域づくりの試練である。おそらくこれまでの学習からの地域づくりが成果を挙げ、地元受入れのための資金集めにも英知が結集されると考えている。自律的な地域づくりを目指して、どう乗切るか正念場である。 ●交流と「外貨獲得」産業 産品を域外向けに提供しようとするだけでは、付加価値も高めることができず、域内に関連産業も成長しにくい。域外の消費者を地域内に呼び寄せ、交流することでさらに幅広い産業おこしのステップアップが望める。 『薬師の里』でも健康づくりをテーマにした地域間交流を目指している。しかしあくまで、地域の事情に合わせたペースで展開する。地域づくりにはリスクの大きい一発勝負は厳禁である。小さくとも成功を積み上げることで、多くの賛同を得られ、やがて大きなうねりにすることができる。この意味で、確実な成功のためには、自らを律しなければならない。決して他を羨み、急いてはならないのである。 ●域外資本の弊害 占冠村では、リゾート開発に合わせ、元来レンガ造と無関係な土地にも拘らず、村が住宅もレンガ造を推奨しているという。域外資本におもね過ぎではないだろうか。 長野県小布施町で、行われた町づくりは、民間主導型の典型的な例として全国的に注目を集めている。現在では、年間70万人もの観光客を集め、善光寺平周辺の新しい観光スポットとなっている。 集落づくりの参考にと小布施町のまちづくり現地調査から、全国チェーンのコンビニエンスストアの広告看板について大変奇異に感じた。地元資本のスーパーや、オートバイ店も周囲に合わせた店作りをしている。件のコンビニも一応それらしくなってはいるものの、看板の色遣い・大きさが全く小布施のスケールと一致していない。 地元からも本社に掛合っているであろうが、マニュアル漬けの業界の事、意思決定機関が不明確で埒があかないのであろう。 先に述べた産業の大分類からすると、コンビニエンスストアは、域内消費産業である。即ち、地域が発展しない限り自らの発展や成長が望めない産業である。域内消費産業は、他にもまして域内の動向には敏感でなければならない。さらにも増して域内振興を支援する事が自らの発展と直結するのであるから、地域づくりに積極的でなければならないはずである。 しかし、地域の外に意思決定機関が存在し、地域情勢が届きにくい体制となっている域外資本には、まちづくり・地域おこしにとって弊害が大きい。 この点を特に注意して、まちづくり・地域づくりに際しては、域外資本との関係を考える必要がある。 |
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(5)環境づくり
ここで言う環境づくりは、自然環境だけではない。住民の生活を支える住環境、産業を支える産業基盤などの整備も含めて考える必要がある。 ●生きるための糧は何処からもたらされているか 一次産業が主体である地域において、産業にとっての自然は恵を授ける母胎である。地域産品を地元で販売する商業にとって自然は、商品を魅力付けするバックグランドである。休養に来る都会人を対象とするサービス産業にとっては一次産業と同様、糧を得る母胎である。 河川のコンクリート護岸化やダム、海岸の消波ブロックなどは地域を災害から守るためのものである。しかし、それらによって人々は、自然から遠ざけられ、その積み上げによって微環境における生態系が崩壊していった。 短期的な災害からの安定性を求めた結果、長期的には、自然がバランスを崩し、安定性が減少するという矛盾が顕在化しつつある。 地域では、さらに家庭排水の浄化が遅れ、これらに拍車をかけている。家庭排水による河川・海水汚染などは、加害者と被害者が同一である点が、企業公害と本質的に異なる。この解消には、被害者であり、加害者でもある地域住民自らが、真剣に取り組む必要がある。 南大呑地域でも漁業者の居ない集落で集落排水整備が始った。漁業者よ、自らの糧は自らの手で守らねばならないのではないのか。 ●花いっぱい運動 地域にとって、自らの糧がほとんど全て自然からもたらされていることを見てきた。自然の破壊は地域の滅亡と軌を一にする行為である。地域環境保護は、我々人間も含めた生態系の保護である。 一方、我々は保護という守りの意味だけでなく、自然に囲まれた美しい里づくりを進める必要がある。経済的な豊かさから、教養的・精神的豊かさを求めて行く社会となりつつある。美しい環境を求めて人々は旅をしている。ドイツでは、都市民が農村で休暇をとる動機づけをするために、「美しい里」づくり運動が国家的に進められ、全国コンクールで顕彰されている。永続的に成立しえる地域は、美しくなければならない。 南大呑地域も、花いっぱい運動を展開している。地域に花園という名の集落がある。いつか花で溢れ、それに憧れて街人来る日を愉しみにしながら。 |
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4.まとめ |
●地域内連関システム
@産業連関 「地域の産業構造と経済的腰の強さ」の章で述べたように経済的に腰の強い地域産業の構造を形成するには、地域内における産業もしくは企業間の連関が重要である。 A人的連関 また、中小企業育成の論理でみたように、地域内産業連関を強化するために、地域内の人的な連関が必要である。 B情報連関 さらに、各地で積極的に展開されている異業種交流会のように、それらに付随して各種の情報の地域内連関も「腰の強い」地域を形成するために欠かせないものである。地域内の情報連関には、また地域内の資源を地域外に発信したり、地域外から受信する感度を揚げる機能もある。 以上の関係を整理し、地域内連関システムの基本的要素として構造化すると、下図のようになる。 我が国を取り巻く国際情勢や、時代潮流が急速に変化しつつある現在、真に地域の振興を図ることができる地域計画を検討する際、立案した計画が地域内連関システムの基本的要素をどのように満足するのか、十分に検討すべき時が到来している。 ●ライフスタイルと産業おこし ここで、注意しなければならない点は、フローとしての成長がゼロでも地域にとって問題が無い場合があることである。豊かな地域資源のストックがあり、ライフスタイルが低消費型で、域内消費(自給)で賄え、住民が生活に豊かさを実感している場合である。 地域住民がどのようなライフスタイルを望み、どの様な地域に住みたいと考えているかによって、域内消費産業と「外貨獲得」産業に対する対応が異なるのである。 |
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地域おこし事例 |
ドイツにおける自由時間政策と農村社会改革の結合
●はじめに 南フランスで有名なラングド・クルシオン計画がスタートした年、1963年西ドイツでは「連邦休暇法」が成立した。パリに人口が極度に集中しているフランスは、自由時間政策としてほとんど無人の広野であった海辺を国策としてリゾート開発した。 一方、西ドイツは、人口が全国に程よく分布しているため、フランスのような大規模開発が不可能であった。 そこで、西ドイツがとった自由時間政策は、3つある。 一つは、都市市民の庭、クラインガルテンに関する政策である。 もう一つは、地中海沿岸諸国のリゾート施設のオフシーズン利用の指導であり、それはフランスの投資の活用であった。そのために、学校やバカンス休暇を各州で少しずつずらし、一時期への集中の防止と利用料金の低廉化、リゾート施設の稼動安定化をもたらしており、我国の盆暮集中の好対称をなしている。 3つ目が「農村で休暇を」政策である。 1973年西ドイツ政府の次の宣言によってそれは幕を開けた。 「我々の時代の農業政策は、 @農村地域に住む人々のための政策でなければならない。 Aさらに、農業政策は、農村に憩いと休暇を求める人々に対する政策でなければならない。」 「農村で休暇を」政策は、都市市民のバカンス人口を国内の農村に分散吸収するものであり、これを手本とする「農村はすべての人々のために」という自由時間政策が英国など西欧を中心に広がり始めている。 ●「農村で休暇を」政策の目的と意義 「農村で休暇を」政策は、大きく2つの政策が包合・統合されている。 一つは、都市市民が手にした大きな自由時間に対する政策。もう一つは、収入が減少し、疲れ始めた農村社会への対応である。 人口流出によって目立ちはじめた空き部屋を都市市民に開放して農家の副収入源を確保するとともに、都市市民に手軽な国内バカンスへの途を創り出す。自由時間政策と農村対策の二者を結ぶことで、いわば一石二鳥の政策として「農村で休暇を」政策が展開されるのである。 従って、「農村で休暇を」政策の目的と意義は、大きく2つになる。 @都市市民の自由時間に対する豊かな選択肢の提供 A農村社会の構造的変革 そして、これらからもたらされるものとして都市市民と農村市民との交流・相互理解:地域間コミュニティの形成及び、子供への社会教育の機械の創出も挙げる事ができる。 ●「農村で休暇を」政策の内容 我国のセカンドハウス所有の形態からすると、農村セカンドハウスとは、都市市民が農村地域にセカンドハウスを建設する制度のような感じがするが、「農村で休暇を」政策は逆の発想をしている。つまり、農村市民が自らの土地に、都市市民のためのセカンドハウスを建てるのである。従って、建設に伴う地価の上昇は有り得ない。 西ドイツではセカンドハウスを所有すると重税となるため、平均的な市民が所有することはない。さらに都市市民が農村にセカンドハウスを持つことは、農村を衰退させる事として、政策的にも採用されていない。 農村セカンドハウスは、8ベッド、4人家族で2世帯分を限度として以下のような制度が適用される。 @農村セカンドハウス建設・改装への融資制度 Aセカンドハウスからの収入の税金免除 さらに、全体で 1,000ベッド以上の農村セカンドハウスがある地域は、建設省が下水や街路など基盤整備を行うというものである。 DLGの品質マーク検査は、3年毎に行われ、そのレベルを保証している。検査は、検査官が3名で現地を訪れ、周囲の環境・セカンドハウスの施設内容などについて行う。環境については、近くに工場・採石場などがないこと、街の近くに立地していないことなどが条件である。品質マークを受けた後で環境が悪化したり、工場等が立地すると、マークは取り消される。自分たちの周辺の環境を維持することは農村市民の責務とされているのである。来訪者の第1印象は、環境の良さと建物のきれいさによるため、これらについては特に厳しい。 各種の優遇制度と厳しい品質検査によって、都市市民は朝食付きで 2,000円/人、3食付きで4〜5,000円/人という経済性と安心して宿泊できる品質双方の保証の上に農村セカンドハウスを利用できる。 これらの制度から、「農村で休暇を」政策は、経済力がついていない若い世帯についても豊かな環境でバカンスを過ごしたいというニーズや、気軽な国内バカンスへのニーズを吸収する政策といえる。 DLGでは毎年西ドイツの全セカンドハウスを掲載したカタログを発行しているが、半数以上が口コミで訪れ、中でもバイエルン州ではその割合が8割にも達しているという。 表 農村セカンドハウスの紹介機関 機関| 口コミ|飛び込み|カタログ|旅行社 比率| 53%| 25% | 12% |10% 全体の利用者は、のべ1350万人日/年(1986年)で増加しており、平均稼動は84日/ベッドである。利用者の半数はリピータとなり、子供のいる家族が4〜5年毎に訪れている。 支援対象を8ベッドとしているのには別なねらいもある。 @農業を主としている家庭に過度な負担をかけない。 (年間稼動 100日/ベッドが損益分岐点) Aそのため、家族で親身になって都市市民をもてなすことができる。 B農村市民と都市市民とのより深いレベルでの交流で 地域が活気を帯びて来る。 さらに、副次的な効果として、美しいセカンドハウスに負けない母屋を建てていくことによって農家の住環境の向上にも寄与している。 そのほか、ソフト面での工夫として、都市市民に地域に伝わる手芸・工芸品の制作を教えたり、数件が共同で各種のイベントを企画したりも行われている。 ●「農村で休暇を」政策の今後 Werner女史によると、今後は農家を改築して老人ホームのような農村セカンドハウスを造りたいそうである。ここで我々が注意しておかなければならない点は、女史の言う「老人ホームのような農村セカンドハウス」とは、我国の姥捨て山的な貧しい高齢者施設とは根本的に違うものになるだろうと言うことである。Werner女史らの目指すものは、北欧に見られるきめ細かな施設・設備対策と充実した介護システムに代表されるソフト対策が盛り込まれるものと期待される。 今回の視察から帰国後、金沢で一本の映画の上演会があった。「安心して老いるために」(演出:羽田澄子、配給:岩波ホール、1990年作品)と題されたその映画は、岐阜県池田町の高齢者福祉への取り組みの苦悩と、町民による北欧・オーストラリアへの研修報告を軸に描かれている。そこで紹介されている欧州の社会は、我国の「国と地方」・「行政と市民」・「企業と労働組合」にあるような施すものとすがるもの・与えるものとねだるものの関係はなかった。また、施設はどれも素晴らしい建物で、最近我国にも紹介されつつあるバリアフリーの概念が当然のごとく施設の内外に活かされており、豊かな自然環境の中にあった。 ドイツの農村セカンドハウスを訪れ、この映画を見た後の私には、欧州が目指しつつある社会の輪郭がおぼろげながら見えてきたような気がしている。我々が高度成長の名の下で見失い、現在捜し出そうとしているものを、欧州社会では既に市民のものとし、発展させようとしている。 技術の成熟化がもたらした都市社会の自由時間政策と、農村社会の変革をアウフヘーベ(止揚)したドイツの「農村で休暇を」政策は、これから高齢化社会への対応としての政策をも巻き込んで、さらに充実して行くに違いない。 社会に貢献してきた人々の有終を飾る時を、美しい自然環境と農村集落の人々に包まれて、豊にそして和やかに過ごす姿が目に浮かぶようである。 |
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参考文献
『東西ヨーロッパにおける自由時間政策調査報告書』 自由時間政策研究会編 「ドイツにおける自由時間政策と農村セカンドハウス」 濱 博一、1991年3月 |
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